6/6 躾(しつけ)
- Yoshiteru Yamada
- 2022年6月6日
- 読了時間: 2分
6月6日の美人の日本語は
「躾」です。
しつけ、私の苦手な言葉です。
社会性を身につけることは、とても大切で必要なことですが、この言葉には上から目線な印象を強く受けます。
印象だけではよくないと思って少し調べてみました。
日本大百科全書(ニッポニカ)を抜粋すると……
「たわめ直す」という言葉を初めて見ましたが、たわんだものを矯正するということでしょう。
柳田国男(やなぎたくにお)は「あたりまへのことは少しも教へずに、あたりまへで無いことを言ひ又は行つたときに、誡(いまし)め又はさとすのが、シツケの法則」だと述べている。つまり、しつけとは、教えるというよりも、むしろまず実地に行わせてその欠点を矯正するというやり方で、一人前にすることを意味したのである
教育よりも、修正、矯正の意味合いが強い言葉のようです。
僕が「躾」と聞いて頭に浮かぶイメージは、間違った作法をして叱れるシーンです。
人にとやかく言われるのがほんっとうに嫌いなので、僕は「躾」が苦手な言葉なんですね。
さらに、企業の社員教育において「躾」という言葉を使うことは、苦手じゃなく、嫌いです。
Wikipediaには……
しつけとは、教育することと言い換えても良いが、教育一般よりも生活全般に根ざした、更に根源的な事柄にまつわる部分を教えていく行為を指す。特に言葉が理解出来ない幼児の教育に関しては、様々な態度で接することで「やって良いこと(=誉められる)」「やってはいけないこと(=罰せられる)」の区別をつけさせることでもある。
とあります。
大の大人に対してやることではないですね。
「社員教育」という意味で「躾」と言っている場合が多い気もしますが、それを使ってしまう言語センスがもう受け入れられません。昭和感、ブラック感がにじみ出ています。
最後にもうひとつWikipediaから引用。
しばしば誤解されるところではあるが、しつけは社会性の教育であって「大人(保護者)の都合」を子供に強いるための行為ではない。児童虐待で逮捕された親の多くが取調べに対して「しつけだ」と弁解しているが、そのほとんどにおいて主張の妥当性は認められず、暴行であるとして有罪となっている。
絶対的に子どもは幸せになる権利があります。
子どもも社員も、対等なヒトとして、導き、学ぶ関係でありたいと思います。
Comments