6/6 躾(しつけ)


6月6日の美人の日本語は

「躾」です。


しつけ、私の苦手な言葉です。


社会性を身につけることは、とても大切で必要なことですが、この言葉には上から目線な印象を強く受けます。


印象だけではよくないと思って少し調べてみました。


日本大百科全書(ニッポニカ)を抜粋すると……

日常生活での行儀作法や生活慣習の型を身につけさせることをいい、おもに家庭内での初期教育をさす。しかし、以前はこのことばはもっと広い味内容をもち、単に行儀作法を修得させるという狭い意味でなく、「性質をたわめ直しつつ一人前に育てる」ことを意味し、またその適用囲も幼少期の訓育だけとは限らなかった。

「たわめ直す」という言葉を初めて見ましたが、たわんだものを矯正するということでしょう。

柳田国男(やなぎたくにお)は「あたりまへのことは少しも教へずに、あたりまへで無いことを言ひ又は行つたときに、誡(いまし)め又はさとすのが、シツケの法則」だと述べている。つまり、しつけとは、教えるというよりも、むしろまず実地に行わせてその欠点を矯正するというやり方で、一人前にすることを意味したのである

教育よりも、修正、矯正の意味合いが強い言葉のようです。

僕が「躾」と聞いて頭に浮かぶイメージは、間違った作法をして叱れるシーンです。


人にとやかく言われるのがほんっとうに嫌いなので、僕は「躾」が苦手な言葉なんですね。


さらに、企業の社員教育において「躾」という言葉を使うことは、苦手じゃなく、嫌いです。


Wikipediaには……

しつけとは、教育することと言い換えても良いが、教育一般よりも生活全般に根ざした、更に根源的な事柄にまつわる部分を教えていく行為を指す。特に言葉が理解出来ない幼児の教育に関しては、様々な態度で接することで「やって良いこと(=誉められる)」「やってはいけないこと(=罰せられる)」の区別をつけさせることでもある。

とあります。


大の大人に対してやることではないですね。


「社員教育」という意味で「躾」と言っている場合が多い気もしますが、それを使ってしまう言語センスがもう受け入れられません。昭和感、ブラック感がにじみ出ています。


最後にもうひとつWikipediaから引用。

しばしば誤解されるところではあるが、しつけは社会性の教育であって「大人(保護者)の都合」を子供に強いるための行為ではない。児童虐待で逮捕された親の多くが取調べに対して「しつけだ」と弁解しているが、そのほとんどにおいて主張の妥当性は認められず、暴行であるとして有罪となっている。

絶対的に子どもは幸せになる権利があります。


子どもも社員も、対等なヒトとして、導き、学ぶ関係でありたいと思います。